OKABE Toshihiko
岡部俊彦


©NAKAMURA Osamu

1963年 富山県生まれ
1989年 筑波大学修士課程(デザイン専攻総合造形コース)修了

主な個展

2017年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
2015年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
2011年
庄川水資料館(砺波)
2007年
元麻布ギャラリー(富山)
インフォーム・ギャラリー(金沢)
2005年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
砺波市美術館(砺波)
インフォーム・ギャラリー(金沢)
2004年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
2002年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
2000年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
小矢部市クロスランド(小矢部)
1999年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
金沢市民芸術村アート工房(金沢)
1998年
インフォーム・ギャラリー(金沢)
砺波市美術館(砺波)
1997年
MAU FINE ART(富山)
1996年
エルフ富山(富山)
1993年
ギャラリーアリエス(東京)
1992年
ギャラリーアリエス(東京)
1989年
ときわ画廊(東京)

主なグループ展

2017年
ビエンナーレTOYAMA(富山県美術館/富山)
2015年
大地の芸術祭の里 越後妻有2015冬(十日町/新潟)
2014年
大地の芸術祭の里 越後妻有2014冬(十日町/新潟)
2012年
アートガーデン2012大岩山(上市/富山)
2008年
至高の精神展 砺波市美術館(砺波)
坂のまちアートinやつお 2008(富山)
2006年
越後妻有アートトリエンナーレ まつだい農舞台(十日町/新潟)
2005年
転生回廊回顧展 クロスランドおやべ(小矢部)
2004年
ハイエナジー・フィールド KPOキリンプラザ大阪(大阪) タマダプロジェクトアートスペース(東京)
2002年
転生回廊 小矢部市内(小矢部)
触展 富山市民プラザホール(富山)
2001年
アートギャラリー in 婦中 速星駅前通り(婦中/富山)
となみ野美術展 砺波市美術館(砺波)
2000年
トリエンナーレ2000神通峡美術展(大沢野/富山)
三田村畯右と<総合造形> 茨城県つくば美術館(つくば)
1999年
彫刻-生々展 松村外次郎記念町立庄川美術館(庄川/富山)
アートギャラリー in 婦中「GONIN展」 安田城跡(婦中/富山)
富山県美術連合会展インデブレツェン'99 バルトークホール(ハンガリー)
となみ野美術展 砺波市美術館(砺波)
あすを拓く美術展(富山)
THE ARK 東京オペラシティビル(東京)
1998年
黒部・名水の里野外アート展'98 黒部市総合公園(黒部)
現代版画の現在・可能性 MAU FINE ART(富山)
1997年
となみ野美術展 砺波市美術館(砺波)
1996年
ART FESTIVAL in TSURUGI 金剱宮舞殿(鶴来/石川)
野積記'96 野積地区(八尾/富山)
となみ野美術展 砺波市文化会館(砺波)
1995年
第9回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
アートは楽しい6-機械帝国- ハラミュージアムアーク(渋川)
スパイラル・エネルギー-山水樹- 下山芸術の森(入善/富山)
となみ野美術展 砺波市文化会館(砺波)
'95富山の美術 富山県立近代美術館(富山)
1994年
第8回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
ART EDGE'94 富山市舞台芸術パーク(富山)
となみ野美術展 砺波市文化会館(砺波)
機械・人間展 福井県立美術館(福井)
新鋭選抜'94北日本美術展 富山県民会館美術館(富山)
1993年
第7回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
アート・イベント'93-解体から再生へ- 下山芸術の森(入善/富山)
兆展 松村外次郎記念町立庄川美術館(庄川/富山)
TSUYAMA BOX アートスペース砺波(砺波)
ギャラリーアリエス小品展 ギャラリーアリエス(東京)
第4回富山市の作家展 富山市民プラザギャラリー(富山)
1992年
第6回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
1991年
第5回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
アート・イン・フロント・トヤマ'91 アートスペース砺波(砺波)
'91とやま20人展総集展 高岡市立博物館(高岡)
1990年
第4回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
第10回ハラアニュアル 原美術館(東京)
新鋭選抜'90とやま20人展 高岡市立博物館(富山)
第1回キリンプラザアワード キリンプラザ(大阪)
1989年
アート・イン・フロント・トヤマ'89 アートスペース砺波(砺波)
第3回黒部野外彫刻展 黒部市宮野運動公園(黒部)
1988年
展覧会・展 筑波大学会館別館ギャラリー(つくば)
第17回日本国際美術展 東京都美術館(東京)
FRAME展 筑波大学会館別館ギャラリー(つくば)
1987年
恍展 筑波大学会館別館ギャラリー(つくば)
第4回富山市造形グループ展 富山県民会館美術館(富山)
1986年
日本海美術展 富山県立近代美術館(富山)
第3回富山市造形グループ展 富山県民会館美術館(富山)
第8回明日を拓く美術展 富山県民会館美術館(富山)
富山県美術展覧会 富山県民会館美術館(富山)
1985年
第2回富山市造形グループ展 富山県民会館美術館(富山)

受賞

2000年
トリエンナーレ2000神通峡美術展(大賞)
1998年
黒部野外彫刻展(協賛賞)
1997年
となみ野美術展(部門賞)
1996年
となみ野美術展(大賞)
1987年
第4回富山市造形グループ展(大賞)
1986年
第3回富山市造形グループ展(大賞)
第8回明日を拓く美術展(優秀賞)
富山県美術展覧会(県展奨励賞)
1985年
第2回富山市造形グループ展(大賞)

文献

<スペクタクル・マシナリー>による新しい錬金術 伊藤俊冶(1989年)

 20世紀の美術史をたどってゆくと,一種の<カウンター・テクノロジー>とでもいうべき動きがその底流に流れていることに気づく。

 つまり無機的な機械技術によって構成される形態ではなく,自然宇宙へつながってゆく有機的な形態からインスピレーションを得ていった前衛芸術運動の流れである。

 例えばロシア構成主義のニコライ・フェードロフは地上に構成的なモニュメントを打ちたてる重力主義的なテクノロジーではなく,磁力と引力の相互作用によって地球そのものを一個の宇宙船とみなし,宇宙を意のままに旅するシステムを構想していたし,オーストリアの建築家で,つい先頃,ホイットニー美術館で大回顧展が開かれたフレデリック・キースラーは,「銀河系シリーズ」の<モビロイド>というプロジェクトで,磁力場の壁の後に電磁力を組み込んだオブジェを浮べ自由に動かすという室内宇宙のヴィジョンを提示し,磁力による地上的な重力支配からの解放の夢を語っている。

 こうしたアーチストたちはテクノロジーを,閉ざされていた内なる生命のパターンを直感する装置とみなし,機械によって人間は五感を超えた力やエネルギーを持つことができるとしている。

 自然から人間を切り離してしまったものとして機械を見るのではなく,機械を通して,人間は今まで目に見えなかった新しい宇宙を発見してゆけるとするのだ。

 このような<カウンター・テクノロジー>の刺激的なヴィジョンは,残念なことにこれまで日本のアートの世界には,ほとんどあらわれることはなかったのだが,突如としてこうした方向が若い世代のアートの形式からあらわれ始めている。

 そのパイオニアとでもいうべき存在が,ここに紹介する岡部俊彦である。

 彼の「臨界値」('85年),「創世記」('86年),「形態成滅場」('87年),「ニューアルケミーは本当に我々の意識のうえで光と暗の対消滅を生みだしてくれるのか」('88年),「意識変容装置群」('89年)といった<作品>を見てゆくと,そこにこれまでの日本のアートの世界では得られなかった,まったくレベルの違うエネルギーの奔流を感じとることができる。

 例えば最新作「意識変容装置群」は,彼のこれまでの営為の集大成的な意味あいを持つものだが,そこには大小様々な,多数の機能(発光,運動,音響,物性利用等)を持つ装置群が15メートル四方の空間に配置され,その中で岡部自身がそれらの装置群と種々の関係をむすびながらパフォーマンスをおこなうというものである。

 機械群,オブジェ群,エネルギー群と交流しあう岡部の行為は儀式的な,あるいは呪術的な,また祝祭的な様相を帯び,彼はいわばシャーマンやマジシャンとなって,<人間の変容>の可能性を次々と提示してゆくことになるのだ。

 ある意味で彼の行為は脱機械時代におけるトランス・ヴィジョンだといってもいいだろう。

 岡部はテクノロジーを使って,超越し,回帰するための様々な扉を開こうとする。彼のこの機械群はハイテクノロジーでもなければ,デッドテクノロジーでもない。強いていえばそれはコスモロジーのためのテクノロジーである。

 かって彼は「創世記」('86年)において,操作スイッチと装置群を多くのコードによって胎児のようにつなげた状態で運動を繰り返し,<コスモ・チャイルド>のイメージを見せてくれたことがある。

 それは宇宙意識の恩恵のもと,意識の進化を成しとげるため胎児の状態でエネルギーを吸収し続けている新しい人間態の象徴的身ぶりであった。

 ともあれ,<振動><物質の変容><物質と意識のシンクロニシティ>といった言葉を手がかりに,宇宙のシステムに人間を再び織り込む交信装置をつくり続けている岡部の<スペクタクル・マシナリー>は,まさに<新しい錬金術>というにふさわしい鮮やかな衝動を抱えこんでいるように思う。